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雇用、営業、くらし守る政治へ…マサツグの奔走記

福島原発事故の収束を、脱原発へ、被災地復興は住民主体で、構造改革の押付けは許されない。政治のベクトルは常に「人間を幸福にする」ために…その想いで見て聞いて語っての走り書き

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日本共産党よこそね後援会主催の「東海第二原発施設見学」に参加しました。

2013.10.27 21:34:30


中央は大名美恵子東海村議、右は矢野ゆきこ川口市議、左のジーパンが村岡
 
今日は日本共産党よこそね後援会主催の日帰りバス旅行に参加しました。いただいたご案内には、「東海発電所・原子力科学館を見学」”現地の東海村村会議員からお話を伺う予定”とありました。案内通り、東海発電所に到着するとすでに東海村村議の大名美恵子さんが私たちを持っていてくれ、早速、ご説明をいただきました。

 

原発といっても実際は、施設内につくられた「東海テラパーク」という原子力展示ホールの見学でしたが、他の原発と比べ、展示館の目の前が東海第二原発の建屋という至近距離にあります。東海発電所は日本初の原子力発電所として昭和41年に営業運転を開始しましたが、平成10年に運転を終了しました。第二原発は昭和53年に運転を開始しています。平成11年には(株)JCO東海事業所で臨界事故が起こり、作業員二人が犠牲となっています。事故を起こした沈殿槽のレプリカは原子力科学館別館で見ました。

 

大名村議からも説明がありましたが、あの3・11のとき、東海第二も危機一髪だったとのこと。高さ5.4mの津波に襲われ、非常用発電機の冷却用海水ポンプ3台のうち1台が水没、使用不能となり、かろうじて、残り2台で冷却し事故を回避したとのことでした。あと40cm津波が高かったら、福島第一原発と同じだった、まさに、危機一髪状態だったそうです。当時の村上村長は東海原発は東京に近いだけに、この時は、「背筋がぞっとする思いだった」と語っています。

 

東海村議会は20名、脱原発派は共産党2名を含め8名、原発推進派村議は12名だそうです。この9月の村長選挙で山田新村長と変わりましたが、新町長は原発への態度を明確にしてないとか。再稼働を許さず廃炉に向けての戦いがいよいよ重要に。国会では「秘密保護法案」が提出されました。脱原発の運動と憲法を守る運動とを結び付けていくことも鍵です。

 

今日は原発の現場を見、村議からお話を聞き、まさに「百聞は一見にしかず」で、確信を深めることができました。後援会のみなさん、大名村議さん、今日は本当にありがとうございました。 
 
 

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