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雇用、営業、くらし守る政治へ…マサツグの奔走記

福島原発事故の収束を、脱原発へ、被災地復興は住民主体で、構造改革の押付けは許されない。政治のベクトルは常に「人間を幸福にする」ために…その想いで見て聞いて語っての走り書き

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八ッ場ダムを考える1都5県議会議員の会がダム予定地を視察

2014.07.15 22:58:19


対岸は打越代替地、背面は急斜面地

「八ッ場ダムを考える1都5県議会議員の会」は15日、ダム予定地を視察しました。会は民主、社民、共産、市民クラブなど、関係自治体の県議で構成され、今日の現地視察に20名近い議員らが参加、埼玉県議会からは共産党のみでしたが、奥田と村岡の両県議が参加しました。

 

国会から共産党の塩川鉄也衆議院議員、吉良よしこ参議院議員も参加、マイクロバスで現地を回り、八ッ場あしたの会の渡辺洋子事務局長から説明を受けました。

 

JR川原湯温泉駅を起点に、まず川原湯温泉街へ、立退きで解体が進み昔の温泉街の面影は全く残っていません。川原湯・打越代替地、ダム本体準備工事の仮締め切り工事現場、吾妻渓谷、川原畑地区代替地、さらに、埋蔵文化財発掘現場、付け替え県道工事など、半日かけて見て回りました。

 

群馬の伊藤県議からは、鉄鋼スラグが造成に使用された問題も指摘がありました。林地区の地すべり自動計測システムの説明も受けましたが、これまでも指摘されてきましたが、予定地が脆弱な地質で極めて滑りやすいことをこの目で確認できました。

 

地元の議員さんからも挨拶がありましたが、八ッ場ダム計画の始まったのが1952年、以来62年、目の前の工事は目的を失った彷徨う巨大公共工事と化し、住民の皆さんは、世代を超えて国によって翻弄され続け、多くの方が土地を離れました。今後、関係自治体としてどうすべきか。考えさせられます。

 

至るところで地肌が見え、痛々しいほどにアンカーの撃ち込まれた山々。緑濃い吾妻渓谷を囲む山容が泣いているようでした。

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